フランス軍近衛軍団とは | 皇帝ナポレオンが最後に投入した老親衛隊について

射撃中の古参近衛連隊歴史的背景
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ナポレオン帝政の軍隊で近衛軍団は彼そのものと言っても良いぐらい有名です。
1814年に退位するときもフォンテンブロー宮殿で古参近衛兵の連隊旗に敬意を表し接吻をしたのは有名な話です。

この近衛兵に古参・中堅・新規の区別があったのを知っている方は相当なマニアです。また近衛は歩兵・騎兵・砲兵を持つ軍団でもあったのです。

順を追って近衛軍団を解説します。

ナポレオンの近衛兵はいつからはじまったのか

ナポレオンが執政に就任した頃に執政親衛隊として警護の任務に就きました。ここから彼の権力強化のために護衛目的の親衛隊は拡張されていきます。
その後、イタリア方面軍司令官の頃には規模も大きくなり騎兵隊もできました。

1804年には8,000名程の規模になり、騎兵、砲兵を擁した軍団になります。

1812年の最盛期にはその数も111,000名を超えました。内容的には後で説明しますが連隊を増やしただけでベテラン兵(古参)は少なく軍隊経験があるだけの精鋭兵とは言い難い部隊もできました。

それ故にキャリアによって古参や中堅、新規と呼び名を区別しているのも納得です。

ナポレオンの近衛兵の呼び名の区別と選抜条件

近衛兵は古参(old)中堅(middle)新規(young)の3つのクラスに分類されます。もちろん最初は古参の一種類だけでした。

大多数の方が近衛隊と聞くと古参(老親衛隊)をイメージされますが、歩兵連隊では2個連隊だけです。最盛期でも中堅(壮年親衛隊)や新規(若年親衛隊)が多数です。

老親衛隊(old guard)は老人ではない

お分かりだと思いますがナポレオン戦争の期間は20年間くらいですので、老と付いていても30歳代~40歳代くらいです。老人ではありません。

練度の高い順に並べています。古参(老)から順に新規(若年)です。何となく漢字を見るとわかります。

近衛兵の練度による呼び名

  1. 古参近衛隊又は老親衛隊
  2. 中堅近衛隊又は壮年親衛隊
  3. 新規近衛隊又は若年親衛隊

執政護衛隊の頃からの兵士は古参近衛兵又は老親衛隊(old guard)と呼ばれます。

フランス語の表記ではGarde Impérialeとなるので皇帝のガード、つまり近衛兵と訳すのが適切かと思いますが、親衛隊という呼び名も多く使われています。

親衛隊と言えば2次大戦のドイツの武装親衛隊をイメージします。発想や進化はよく似ていますがこのブログでは近衛を使います。

中堅近衛隊は壮年親衛隊(middle guard)とも呼ばれ新規近衛隊は若年親衛隊(young guard)と呼ばれます。

次に入隊条件を説明します。

古参近衛隊の入隊条件

ナポレオン帝政のフランス軍最強部隊である古参近衛隊はエリート中のエリートだけあってその入隊条件も厳しいものが有りました。

入隊の時期は色々ありますが共通して3会戦以上従軍していることなどが挙げられます。

古参近衛隊の近衛第一擲弾兵連隊と近衛第一猟歩兵連隊は特別です。列記します。

近衛第一擲弾兵連隊入隊条件

  • 従軍期間が10年以上
  • 読み書きができる
  • 勇敢さで表彰されている
  • 178cm以上184cmまでの身長

近衛第一猟歩兵連隊入隊条件

  • 従軍期間が10年以上
  • 読み書きができる
  • 勇敢さで表彰されている
  • 172cm以上の身長

178cmと聞いてもあまり大きくないと思われるが当時のフランス人の平均身長は160cm代で178cm以上は大男の部類に入ります。現代とは違うので注意が必要です。

古参近衛歩兵の部隊とは

近衛擲弾兵連隊

近衛擲弾兵第1連隊のコスチューム

1815年ワーテルロー戦役での近衛擲弾兵第1連隊(古参)

近衛兵と言えばこの近衛擲弾兵連隊がエリート中のエリートで知られています。が、実際には擲弾兵第1連隊と猟歩兵第1連隊のみが兵士から士官まで古参兵で占められています。

外見的な特徴は何と言っても熊毛帽です。擲弾兵は金のプレートが前にあり、猟歩兵はプレートがありません。

ワーテルロー戦役の時に急増で第2・第3・第4連隊まで作られましたが、全ての連隊で士官、下士官以外は古参ではなく中堅近衛兵でした。

ワーテルローの戦いで最期の予備軍としてイギリス連合軍中央部への突撃が英軍近衛歩兵の一斉射撃で敗走したのが有名ですが、これらは第2から第4連隊までの近衛擲弾兵と近衛猟歩兵で古参連隊ではありません。

近衛擲弾兵第1連隊の28mフィギュア

筆者作製の28mm近衛擲弾兵第1連隊のフィギュア

近衛猟歩兵連隊

近衛猟歩兵第1連隊の服装と装備品

1815年ワーテルロー戦役での近衛猟歩兵第1連隊(古参)

近衛猟歩兵連隊もナポレオンの大陸軍中No2の精鋭部隊でした。

ただ、近衛猟歩兵連隊もワーテルロー戦役の時に4個連隊になりましたが、第1連隊以外は古参ではなく中堅です。従軍経験も4年ほどです。

近衛猟歩兵第1連隊の製作中の28mmフィギュア

筆者製作中の28mm近衛猟歩兵第1連隊のフィギュア

中堅近衛歩兵の部隊とは

フュジリエ猟歩兵連隊

従軍経験3年以上の中堅近衛兵からなるフュジリエ猟歩兵連隊は1806年に創設され1814年に解体されるまで幾多の会戦に参加して活躍しました。

フュジリエ擲弾兵連隊

同じくフュジリエ擲弾兵連隊も1年おくれの1807年に創設されフュジリエ猟歩兵連隊と同じく1814年に解体され二度と作られませんでした。

近衛海兵隊

近衛海兵隊のミニチュアモデル

近衛海兵隊の28mmフィギュア perry miniatures

おもしろいのは近衛海兵隊です。英訳ではsea menとなっており海兵隊と訳すと陸軍ぶたいと同じように戦闘もこなすと解釈するのだが、元来の役目はナポレオンが英本土に侵攻する際の操艦が任務でした。

トラファルガーの会戦でネルソン提督率いるイギリス艦隊に大敗したフランス・スペイン連合艦隊に英本土侵攻は中断せざるを得ず、近衛海兵隊もナポレオンが乗船する船の操艦や戦闘に参加する事で中堅近衛隊に残されました。

新規近衛歩兵の部隊とは

少なくとも1回の方面作戦に参加した古参兵(古参と呼べるか疑問だが)と、頭脳明晰な若い士官および徴集兵の中でも初年で優秀な兵とで構成された。

後にほぼ全員が選ばれた徴集兵と志願兵で満たされ、戦闘能力というよりもナポレオンへの忠誠心で図られ第2次大戦のドイツ軍のヒットラーユーゲントを思い出させます。

狙撃擲弾兵連隊

狙撃擲弾兵連隊の服装と装備品

1815年のワーテルローで狙撃擲弾兵連隊(新規)

1808年にそうせつされた狙撃擲弾兵連隊は、若者で頭脳明晰な新兵を編入し士官も中堅近衛から選抜された。

こうすることによって叙々に戦闘に慣れた兵士を中堅や古参に編入できました。

狙撃猟歩兵連隊

狙撃猟歩兵連隊の服装と装備品

1815年ワーテルローでの狙撃猟歩兵連隊(新規)

編成等は狙撃擲弾兵連隊と同じですが、この連隊の選抜基準は擲弾兵に比べて背の低い者が選ばれました。選抜兵とおなじです。詳しい資料は見当たりません。

近衛騎兵の部隊とは

1804年に創設された近衛騎兵連隊は騎馬猟兵、騎馬擲弾兵の2つの連隊とジャンダルム(騎馬憲兵)、マムリュークの2個大隊です。

1806年に近衛竜騎兵連隊が作られ、1807年にポーランド兵から成る近衛槍騎兵連隊1810年にはフランス人とオランダ人から成る近衛槍騎兵の第2連隊が創設されました。

上記の連隊及び大隊は全て古参扱いでした。

近衛騎馬擲弾兵

近衛騎馬擲弾兵の服装と装備品

1815年ワーテルローでの近衛騎馬擲弾兵

ナポレオン軍の中で最強の呼び名の近衛騎馬擲弾兵は黒っぽい大型のヨーロッパ産の重量馬に乗り近衛古参擲弾兵や猟歩兵と同じベアスキンキャップ(熊毛帽)をかぶっていました。

騎兵で有りながら176cm以上の大男を揃え、軍歴10年以上、会戦経験3回以上の歴戦の勇士達で編成された連隊です。

普段は決戦の予備隊として温存されていましたが、一度戦闘となると圧倒的な騎馬集団の破壊力で敵を粉砕しました。

アウステルリッツとアイラウの会戦での活躍は有名です。また、この近衛騎馬擲弾兵はポーランド近衛第1連隊と共にナポレオン戦争の間は不敗でした。

近衛騎馬猟兵

近衛騎馬猟兵の服装と装備品

1815年ワーテルローでの近衛騎馬猟兵

近衛騎馬猟兵の前身はナポレオンのイタリア遠征の折の昼食中にオーストリア軽騎兵に襲撃を受けた事に始まります。

その後、警護役の騎兵の必要性から200名程の軽騎兵隊が創設され、近衛騎馬猟兵となります。

彼らはナポレオンのお気に入りで密接なる関係でした。ナポレオンが気に入って着用していたグリーンの上着は近衛騎馬猟兵の大佐の服装であることからも解ります。

初陣であるアウステルリッツではロシア近衛騎兵を打ち破っています。

エリート・ジャンダルム(近衛騎馬憲兵)大隊

エリート・ジャンダルム大隊の服装と装備品

1815年ワーテルローでのエリート・ジャンダルム(騎馬憲兵)

近衛騎馬憲兵は直接戦闘には滅多に参加しませんでした。主な任務は皇帝ナポレオンの荷物の警護や憲兵としてのナポレオン軍自陣の将軍や幕僚の警護と秩序の維持、捕虜の尋問から来客や敵国の使いの護衛もこなしました。

マムリューク大隊

マムリューク騎兵大隊の服装と装備品

1815年ワーテルローでのマムリューク騎兵

マムリューク隊の歴史は古く、ナポレオンのエジプト遠征で敵軍のマムリューク騎兵の勇敢さと騎馬術、サーベル使いを見たナポレオンが戦勝時に奴隷兵として連れてきたのが発端です。

近衛騎馬猟兵の1中隊であったマムリューク騎兵もアウステルリッツの活躍で1個大隊に格上げされました。

ワーテルロー戦役でもマムリューク部隊は中隊規模まで減りましたが近衛騎馬猟兵連隊の第1中隊(エリート中隊)として近衛軍団の中にあって戦いました。

皇妃竜騎兵連隊

皇妃竜騎兵連隊の服装と装備品

1815年ワーテルローでの皇妃竜騎兵連隊

1807年に皇帝近衛竜騎兵連隊として創設され、翌年ナポレオンの皇妃ジョセフィーヌに敬意を表して改称されました。(英語名はエンペレス・ドラゴーン)

この連隊に入るには、少なくとも6年間の従軍経験と最低2回の会戦に参加していることが条件です。また勇敢さで表彰されており、背の高さ173 cm以上でした。

この連隊は戦闘用というよりも儀礼用であり、戦闘に投入されることは稀であった。近衛槍騎兵第2連隊(オランダ赤ランサー)と同様、古参近衛隊と新規近衛隊の大隊があった。

ワーテルローでは重騎兵師団内にあり他の近衛騎兵連隊と共にイギリス軍方陣へ突撃した話は有名である。

近衛槍騎兵連隊

長い間フランス軍は槍騎兵を廃止していました。その槍騎兵を1807年に再び創設させたのがポーランド軽騎兵連隊でした。

近衛槍騎兵第1連隊(ポーランド)

近衛槍騎兵第1連隊(ポーランド)の服装と装備品

1815年ワーテルローでの近衛槍騎兵第1連隊(ポーランド)

ナポレオンは政治的な配慮からかポーランド軽騎兵を側に置いていました。1808年スペインへの侵攻の折にナポレオンは彼らに防御の厚いスペイン砲兵陣地への攻撃を命令しました。彼らの武器といえばサーベルと拳銃に過ぎませんでしたが、彼らは4個砲兵中隊を打ち破り20門以上の大砲をろ獲し、戦いの流れを決定的に変えました。

これを目の当たりにしたナポレオンは「ポーランド人よ、君達は私の古参近衛隊と同じ価値がある。君達を私の最も勇敢な騎兵隊と宣言しよう」と言ったのが彼らが古参近衛隊に昇格された経緯でした。そして槍を与えられたこの連隊はワーテルローまで皇帝ナポレオンに忠誠を誓い、不敗を誇り最後まで戦ったのです。

YouTubeでソモシエラの戦いを発見しました。ポーランド軽騎兵の勇敢さを見てください。

Popioły (1965): Battle of Somosierra, 1808 ~Polish Cavalry Charge

もう一つソモシエラの戦いをわかりやすく動画で解説しているのを付け加えます。(英語が苦手でもわかります。)

Battles of Somosierra and Corunna 1808-1809 – Napoleonic Wars DOCUMENTARY

彼らはポーランドの伝統的な帽子(チャプカ)かぶっており、ひときわ目立つ存在ですね!

近衛槍騎兵第2連隊(フランス・オランダ)

近衛槍騎兵第2連隊(オランダ)の服装と装備品

1815年ワーテルローでの近衛槍騎兵第2連隊(赤ランサー)

1810年にフランス人とオランダ人が中核となり創設されました。部隊は真っ赤でその目に付く制服から赤い槍騎兵(Les Lanciers Rouges英語名はレッドランサー)と呼ばれました。

ロシア遠征でコサックの攻撃と冬の厳しさのために壊滅的な被害を受け、ほとんどの兵と馬が失われました。連隊は1813年に再編制され、その最初の4個大隊は古参近衛隊で構成されたために強力になり、さらに新規近衛隊から6個大隊が作られました。

近衛槍騎兵第2連隊はワーテルローで第1連隊と共に戦いました。

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