ナポレオンのフランス軍(大陸軍)や19世期の各国の陸軍は大きく分けて歩兵・騎兵・砲兵の3種類からなります。
歩兵は陸軍の中心的な役割を担います。決戦場での戦いから要塞や都市の占領、兵站の護衛、騎兵は決戦場のここ一番の突破や側面防御、偵察までを行います。
砲兵は決戦場の歩兵進撃の前の友軍のための制圧射撃や前進してくる敵軍を砲撃します。
戦場の主力の歩兵の兵科の種類や軍服をフランス軍1806年の大陸軍の歩兵編成改正後で解説します。
大陸軍は最盛時の1812年のロシア遠征時にはヨーロッパで700,000人を数えました。そのナポレオン麾下の大陸軍の主力戦力の歩兵に焦点を当てて解説します。
大陸軍(だいりくぐん、フランス語: Grande Armee、グランド・アルメ)は、1805年にナポレオン1世が命名したフランス軍を中核とする軍隊の名称である。19世紀初頭にナポレオンが作戦を実行するために自らの勢力圏の国々から召集した多国籍軍の総称である。フランス語のarméeという語には「陸軍」英語の「army」と同じ。Grandeはフランス語で「大きい」の意味で英語の「big」です。日本語表記の「グランダルメ」はフランス語の発音の際にリエゾンするため
戦列歩兵連隊の編成と種類について
ナポレオン帝国大陸軍の歩兵は戦列歩兵連隊と軽歩兵連隊に分けられます。軽歩兵連隊は少数ですがエリート部隊でした。各連隊は4個大隊を持ち、予備にもう1個大隊を持っていました。
1813年以降、特に1815年の ワーテルロー 戦役のころは各連隊は2個大隊しか持たない連隊も多数ありました。エリート連隊である軽歩兵連隊は3個大隊を持つものも存在しました。
戦列歩兵大隊は6個中隊から成っています。戦いや運営は大隊単位が多く、中隊毎に連携して戦いました。大隊長は中佐で、後備予備大隊は少佐が指揮しました。
歩兵の最小単位はフランス軍は中隊です。1個中隊は140〜160名程で編成されていた。中隊長は中尉です。1個大隊は6個中隊からなり、その内訳は下記の通りです。
ナポレオン戦争の歩兵の縦隊、横隊、方陣等わかりやすい動画です。参考に
戦列歩兵大隊編成表 | ||
---|---|---|
小銃兵中隊 | 選抜歩兵中隊 | 擲弾兵中隊 |
フィジリエ | ボルティジュール | グレナディア |
4個中隊 | 1個中隊 | 1個中隊 |
大隊の主戦力は小銃兵中隊の4個で擲弾兵中隊と選抜歩兵中隊は練度の高い古参兵や優秀な兵士が割り当てられました。
特に選抜歩兵中隊は散兵戦を形成したり、両翼を守ったりし、擲弾兵中隊は最後の銃剣突撃の際の打撃力を発揮しました。
次の動画は28mmスケールでフランス軍戦列歩兵大隊を再現しています。左側が擲弾兵中隊で、右端が選抜歩兵中隊、中の2列になっている中隊が小銃兵中隊4個です。
戦列歩兵小銃兵中隊(フィジリエ)とは

小銃中隊のコスチューム
マスケット銃を持った戦列歩兵の主力。着剣用にバイオネット(短剣)を装備する。4個中隊の識別はシャコー(戦闘帽)の上に付けたポンポン(羽飾り)の色でわかるようになっている。
ポンポンによる中隊の色分け
- 第1中隊=グリーン
- 第2中隊=ブルー
- 第3中隊=オレンジ
- 第4中隊=バイオレット
戦列歩兵選抜歩兵中隊(ボルティジュール)とは

選抜中隊のコスチューム
射撃の腕前の良いもので編成されている中隊。小柄な兵士で編成されていた。銃弾に当たりにくいためなのか、掩蔽物に隠れやすいためなのかは不明です。
主な任務は散兵戦を小銃中隊の前で形成して敵士官や下士官の狙撃や敵歩兵の進軍を射撃によって制圧する。
散兵はナポレオン軍が発案者である。イギリス軍やその他の軍隊もこれを真似て軽歩兵連隊や大隊を創設した。
フランス軍選抜兵中隊の肩章やポンポンは黄色がメインで緑色が入ったものを使用していました。
戦列歩兵擲弾兵中隊(グレナディア)とは
体格の優れた者や成績優秀な者のみ集められたエリート部隊です。擲弾兵といっても19世紀には存在しませんが、エリート部隊のシンボルとして君臨しました。
肩章やポンポンは赤色でいかにも屈強そうなカラーリングでした。
ナポレオン皇帝の近衛兵に擲弾兵ばかりの連隊も存在し、最後の打撃力として温存されていました。
軽歩兵連隊の編成と種類について
軽歩兵大隊編成表 | ||
---|---|---|
猟歩兵中隊 | 選抜歩兵中隊 | 騎銃兵中隊 |
シャッスール | ボルティジュール | カラビニエ |
4個中隊 | 1個中隊 | 1個中隊 |
1806年は既に戦列歩兵連隊でも散兵戦術をとることができるようになっており、戦列歩兵と軽歩兵の違いは名称と服装の違いだけになってきました。1804年には戦列歩兵連隊にも選抜歩兵(ボルティジュール)が編成され、彼らが軽歩兵戦術の担い手となった。
軽歩兵戦術(散兵)はナポレオン軍のオリジナルで、歩兵は密集縦隊による突撃戦術か横隊による射撃戦、騎兵からの防御体形である方陣しか無かった。
軽歩兵を散開させて散兵線を構成し、敵主力縦隊や横隊に対してマスケット銃による銃撃を加え、その戦力を漸減させるのが散兵戦術である。
散兵のメリットは、散開しているので砲撃による被害が少ないという利点がある。また、散開したまま敵士官などを殺傷し指揮を混乱させる成果もあった。これにより、フランス陸軍の歩兵戦術は散兵、横陣、縦陣の組み合わせによるものとなり、縦隊や横隊だけでなく両方を組み合わせたオーダーミックスと言うフォーメンションも生まれた。
この頃がナポレオン帝国の戦いの絶頂期でもありました。1812年(ロシア遠征の敗北)以降は選抜歩兵の減少から悪戯に縦隊突撃を繰り返すようになってきます。
軽歩兵猟歩兵中隊(シャッスール)とは

猟兵中隊
軽歩兵の小銃兵と同じ一般兵士だが、軽歩兵自体が選抜兵なので射撃にたけていた。
肩章とポンポンは緑色ベースに黄色。
軽歩兵選抜歩兵中隊(ボルティジュール)とは

選抜兵中隊
軽歩兵の中でもエリートの射撃に優れた者の中隊。肩章はグリーンでポンポンは黄色でした。
全ての中隊とも軽歩兵は戦列歩兵と違ってパンツが上着と同じ紺色。戦闘時は戦列歩兵と同じグレーか白いパンツを着用しました。また、上着やパンツのパイピングはホワイトでした。
h3>軽歩兵騎銃兵中隊(カラビニエ)とは

騎銃兵中隊
戦列歩兵の擲弾兵にあたる。体格の良い大男と成績優秀の者で編成されていた。肩章とポンポンは緑色ベースに赤色
本文中にある帽子の飾りのポンポンは1813年以降で、それまでは軽歩兵は羽毛の大きな羽飾りを着けていました。
ナポレオン帝政の大陸軍のまとめ
大陸軍の主力の歩兵は戦列歩兵と軽歩兵です。が、戦列歩兵連隊の中に選抜歩兵中隊が出来たので軽歩兵と戦列歩兵の違いは服装だけとなってしまいました。
ナポレオン軍歩兵大隊編成
- 戦列歩兵
- 小銃兵中隊 4個
- 選抜兵中隊 1個
- 擲弾兵中隊 1個
- 軽歩兵
- 猟歩兵中隊 4個
- 選抜兵中隊 1個
- 騎銃兵中隊 1個
上記がフランス大陸軍の中核をなした歩兵大隊の種類と編成です。
ナポレオン軍の連戦連勝の1つに画期的な選抜歩兵の散兵戦術が当時の軽歩兵連隊ではなく、一般の歩兵連隊の編成の中に組み込まれていたのが要因です。
当時の歩兵の戦い方に革命をもたらせた散兵戦術でしたが、多くの戦役で選抜兵やベテラン兵を損耗してフランス軍は練度も低くなります。
1814年以降は歩兵縦隊による密集突撃が多用され滅亡へと進んでしまいます。1806年の軍制改革以降1813年までが帝政ナポレオンの大陸軍が輝いた時代だったのでしょう。
今回は大陸軍の歩兵編成とその種類でした。
ナポレオン帝政大陸軍騎兵について知りたいかたはヨーロッパ最強だったナポレオン大陸軍の騎兵の種類と編成についてを参考にしてください。
大陸軍の近衛軍団を知りたい方はフランス軍近衛軍団とは | 皇帝ナポレオンが最後に投入した老親衛隊についてを読んでください。
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