ナポレオンは誰でも知っている19世紀フランスの皇帝ですが、会戦については知らない方が多いです。100日天下の ワーテルロー は有名ですが、それ以外の戦いや対仏同盟にも触れて解説します。
まずはいつからいつまでを指すのかを説明します。
ナポレオン戦争とは
ナポレオン戦争の期間については1803年5月のアミアン和約の破棄から1815年6月のワーテルロー戦役までを指します。
それ以外でも1796年のナポレオンによる第1次イタリア遠征からとする説もあります。
ナポレオン戦争の有名な会戦とは

ワーテルローの前哨戦カトル・ブラの仏軍対英連合軍
ナポレオン戦争の会戦
- 1805年 アウステルリッツ
- 1806年 イエナ・アウエルシュタット
- 1807年 アイラウ
- 1807年 フリートラント
- 1809年 エクミュール
- 1809年 アスペルん・エスリンク
- 1809年 ヴァグラム
- 1812年 ボロディノ
- 1813年 リュツェン
- 1813年 バウツェン
- 1813年 ライプチヒ
- 1815年 ワーテルロー
これらの戦いはナポレオン皇帝率いるフランス軍と同盟軍と反ナポレオンの対仏同盟軍が戦いました。
対仏同盟は時代によって小国はフランス側で戦ったり敵に回ったりしました。
ナポレオン戦争での敵対関係を解説します。
ナポレオン帝政の敵対国
ナポレオン帝国の最初からの敵国で代表的な国がイギリスです。
わかりやすく分類してみます。
終始ナポレオン帝政に敵対した国

イギリス軍司令官ウェリントンと英軍歩兵
フランス軍をずっと敵対した国
- イギリス
- ロシア帝国
- スウェーデン王国
フランス軍に対してほぼ敵対した国
- オーストリア帝国
- プロイセン王国
- ポルトガル王国
- オスマン帝国
- サルディニア王国
フランス軍の同盟国
- デンマーク王国
- ワルシャワ公国
フランス軍を裏切った国
- スペイン王国
- バイエルン王国
- ザクセン王国
- 上記2国以外のライン同盟
- バタビア共和国
- スイス
終始敵対関係にあった大国はイギリスとロシア帝国です。
ほぼ敵対国のアーストリア帝国とプロイセン王国はロシア遠征の際にフランス軍の傘下に入っています。ただし、後方支援でした。流石にナポレオンも信用できなかったのでしょう。
彼らは毎回、対仏同盟の主役だったからです。
対仏同盟は第一次から第七次まで続きました。いくら強国のフランスでも幾多の会戦で疲弊し、1814年にはフランス本土まで侵攻されてしまう始末でした。
その中でもずっと忠誠を誓っていたのはワルシャワ公国とデンマーク王国だけで、その他の同盟軍は旗色が悪くなるとこぞって寝返りました。
ナポレオン戦争のまとめ
ナポレオン戦争とは期間については1803年5月のアミアン和約の破棄から1815年6月のワーテルロー戦役までを指します。
ナポレオン皇帝の同盟国は当初はスペインです。その後、ナポレオンによって作られたライン同盟諸国にワルシャワ公国、デンマーク王国です。
対仏同盟はフランス革命以降7回におよび、イギリス、オーストリア、プロイセン、ロシアの大国および小国がナポレオンに反旗をひるがえし、ヨーロッパ全土を戦場にします。
このブログはミニチュアフィギュアに焦点を当てているので、なぜ対仏同盟が起こったのかの政治的な背景は省略しています。ずばり、戦場や軍隊の編成に主眼を置いています。
シリーズ化するのは各会戦とナポレオンの最後の戦いの「ワーテルロー」の詳細になります。ご期待ください。
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